見識を疑われる謎の“コレクション”
多くの方が指摘するように、このセットの仕方はファンとして落胆せざるを得ないものだ。 名画と呼ばれる作品群がことごとく廃盤している状況下で、再販に何とかこぎつけてくれた事には感謝する。 が、いつでも観られるような映画ばかり繰り返しキャンペーンをして叩き売りを続けるメーカーなら、版権を持つ名作をいつでも見られる状況にすることで社会に還元するのは、申し訳ないが、当たり前のことだと思う。 なぜなら映画会社だからだ。芸術を扱っていると言う自覚を持ってもらいたい。翻ってこのボックスセット。 ヴィム・ヴェンダースを好きな人間が扱っているとは思えない杜撰なまとめ方。まさに「セット売り」の何モノでもない。 映画会社の人間が決して映画を愛しているわけではないことが、ビシビシ伝わってきて吐き気がしてくる。 『10ミニッツ・オールダー』でメガホンをとった、巨匠と呼ばれる監督たちの、一体何人の作品が何の支障もなく見れるだろうか。 特にビクトル・エリセ。版権は同じ東北新社だが、もはや彼の作品は日本では見られないのである。 本には『復刊ドットコム』というサイトがあるが、映画DVDにはそれがない。 私のような憤りを感じている映画ファンも多いはずだが、何とかその声をまとめ上げてメーカーにぶつけてやりたいもんだが・・・
どうして。。。
ヴェンダースの映画に廃盤が多く、DVDで手に入れられないのは、ものすごい欲求不満のもとだった。再発されていないかを確認するためだけに、なんどショップを覗いただろう。 だから、本来は喜ぶべきボックスセットなんだろう。 「ベルリン」もいいし、「まわり道」も待ち遠しかった。 でも、これは買えない。どうしてこの組み合わせなんだろう? 必然性が全くない。なぜ「ベルリン」シリーズが組み合わせられないのだろう。どうして「道」が一つだけなんだろう。残りの作品はどこにいくのだろう。 こうやってコレクションを切り刻むボックスセットには悲しくなるばかりだ。願わくは、おなじく廃盤が多い、ベルトルッチが同じ悲運をたどらないことを祈るばかりだ。
ヴェンダーズの求める「画=イメージ」とは
このBOXの編集意図はヴェンダーズの求める映画における「画=イメージ」の形、その希求の道程を示すことにあるのではないでしょうか? 例えば、『東京画』ですが・・・。小津安二郎が、不朽の名作「東京物語」(53)を生んでから30年後。彼を深く敬愛する映画作家ヴェンダースが、現代の東京を訪れる。小津映画ゆかりの2人の映画人との感動的な対話を通して、雑多で無秩序なイメージが氾濫する街にも、汲み尽されていない純粋な「画=イメージ」が、いまだ存在することを確信するに至る経緯が、旅日記風に描かれていくドキュメンタリー作品です。単なるオリエンタル趣味のお気楽外国人の珍道中記などではないことは明らかです。この映画でなされた哲学的思索が、次作「ベルリン・天使の詩」(87、カンヌ映画祭監督賞)で結実、それが珠玉の映像詩として世界中で絶賛されることとなると考えられます。
「コレクション」の意味するものは?
「ヴェンダースの代表作」とは何なのでしょう? 人によっては「パリ・テキサス」 人によっては「道3部作」 人によっては「ベルリン天使の詩」・・・等,いろいろあるでしょう。 という観点で考えた時,この「ヴェンダース・コレクション」は何を 意図して集めた「コレクション」なのでしょう? 私が,もしこのBOXを買ったとしたら,「天使の詩」がデジタルリマスター化でどれだけ画像が向上したのかの確認と,字幕が日本語/ドイツ語選択できるかどうかの確認だけで,(版権関係の問題があるのだろう,とは十分推測はつくのですが,それでもなお)現在廃盤のままの「都会のアリス」や「パリ・テキサス」のデジタル・リマスター版(希望は単品売り)がいつの日か発売されることを切に望むだけだろうな,と思います。
架空の旅人
ヴィム・ヴェンダースとはつくづく架空の世界を旅する永遠の旅人である。その作品世界はまさに夢の中の夢、うつつのようなものである。モノクロームで語られる世界も、どこまでも極彩色の世界もまるでこの世の外、人の心の境を映し出す。だからこそその世界観には澄み切った普遍性が内包され、シネアストとしての永遠性が約束されるのである。
東北新社
ヴィム・ヴェンダースセレクション [DVD] ヴィム・ヴェンダース DVD-BOX 旅路の果てまで 赤い風船/白い馬【デジタルニューマスター】2枚組初回限定生産スーベニア・ボックス [DVD] ビクトル・エリセ DVD-BOX アンダルシアの犬 [DVD]
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